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「まね」って 

 

私がデザイン学生の頃は「モウレツからビューティフルへ」と富士ゼロックスのコマーシャルが流れディスコがはやりアメリカではウッドストックのロックコンサートがありヒッピー文化、フォーク拓郎の歌詞、とても楽しいクリエイティブな毎日でした、ベンチャーズ、ストーンズ、ビートルズを聞いてしまった事で「私のまね心」に火がついたのでした。エレキを買ってコピーバンドを作りバイトも下手でも「まねる快感」でした。ファッションでもパンタロンに決めて六本木や渋谷のディスコへ行ってました。またブローアップという映画でファッションカメラマンの仕事に憧れていました。カメラを買いまして人物写真をよく撮ってました。全てはなりきりですがとても充実してました。デザインの課題ではロックやJazzのレコードジャケットのカッコいいから色や素材を参考にしてました、雑誌ではイタリアンボーグがカッコ良かったし、タブロイド版のハーパースバザーやライフのページレイアウトや色ずかいからいろいろヒントを得たものです。

日本人はものまねが好きである。外国の真似は上手いが独創性に欠けるとか、まことしやかに言われていますが、間違いである。そう言われたらその事も受け入れる事が出来る日本人の血(DNA)なのでしょう。謙虚にまなぶ人類なのです。「まなぶ(学)」の語源は「まねぶ(真似)」である。また「なぶ」は「並ぶこと」教えを乞い、そのレベルになるように努力する事である。●大陸から渡ってきた稲作をまねた弥生時代●仏教を学びまねた飛鳥時代●外国文化をまねた黒船襲来江戸時代●西洋文明に憧れまねた明治時代●外国やアメリカ文化と戦った大正昭和などなどみなさんもおわかりの通り昔から「外国人」に弱い日本人であるが「人にこんにちは」を言える気質が染みついているDNAなのです。とても感性豊かな国民なのです。

そのDNAは約10万年前、人類発祥の地アフリカで5つの原型のうちの3つの型を持つ人類が生まれ、そのたくさんの型が最も数多く残っているのが、日本列島らしいのです、これは日本人は全く単一民族ではないという事。なぜ日本列島がDNAの種類が多いのか?それは縄文時代の豊かな気候であり、降水量も豊富にあり。森も豊かになり、食料栄養源も多く収穫できた。また大陸から来る人や海を渡ってきた人などを,当時の日本人は寛容に受け入れたのでしょう。すべてはDNAが「まねる国民」を創ったのです。

 

 

「NHK」って

最近みたTV見ているTVです。6時30分のラジオ体操からはじまり街なか情報室と続きます、小さな旅、ダーウィンが来た、軍師官兵衛、花子とアン、鶴塀の家族に乾杯、プロフェッショナル「仕事の流儀」、応援ドキュメント「明日はどっちだ」、歴史秘話ヒストリア、songsスペシャル、超絶「凄ワザ」、ドクター「G」、ドキュメント72時間、週刊ニュース深読み、伝えてピカッチ、突撃アットホーム、タイムスクープハンター、福島をずっと見ているTV、びじゅチューン、サイエンスZERO、人生デザインU-29、ハートネットTV、趣味DO楽、スーパープレゼンテーション、オイコノミア、バリバラ、グレーテルのかまど、にっぽん100名山、アスリートの魂、笑う洋楽展、シャーロックホームズの冒険、ワイルドライフ、the covers、イッピン、世界ふれあい街歩き、感涙よみがえりマイスター、植物男子ベランダー、かりすmama、英雄達の選択、美の壷、新日本風土記、七人のコント侍、LIFE人生に捧げるコント、AKB48SHOW、ワンス・アポン・ア・タイム、大科学実験スペシャル やってみなくちゃわからない、デザインあ 、F1、小山薫堂の東京会議、 F1、小山薫堂の東京会議以外は全てNHKです、以前私が20代30代40代の頃は民放が面白かった、ここ何年と朝ドラからはじまり仕事に出かける前まではBSかデジタルのNHKなのであります。なんでかな? コマーシャルのないバックグラウンドとして音楽代わりもありの事もありますが自分は何と言ってもみんなが楽しんで制作してる企画の面白さと画像処理やデザイン処理のセンスの良さ、など総合クリエーティブの違いである、プロデューサーやディレクターやデザイナーなど企画の切り口がたのしいのであります。                                                                                       

 

「いき」って

 

「いき」とは、江戸における美意識(美的観念)のひとつであった。江戸時代後期に、江戸深川の芸者(辰巳芸者)について言われたのがはじまりとされる。身なりや振る舞いが洗練されていて、かっこうよいと感じられること。また、人情に通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含む。カタカナでイキと記すこともある。「いき」は、単純美への志向であり、「庶民の生活」から生まれてきた美意識である。また、「いき」は親しみやすく明快で、意味は拡大されているが、現在でも広く使われる言葉である。なお、「粋」は「すい」と読み、「いき」と使用するのは誤用、誤読である。反対語は「野暮」(やぼ)または「無粋」である。『佃節』では「いきな深川、いなせな神田、人の悪いは麹町」と読まれている。いきは粋と表記されることが多いが、これは明治になってからのことで、上方の美意識である「粋(すい)」とは区別しなければならない。「いき」は「意気」とも表記される。「いき」と「粋(すい)」の内容に大差はないという説もある。たとえば、『「いき」の構造 』において九鬼周造は、「いき」と「粋(すい)」は同一の意味内容を持つと論じている。また、「粋(すい)」という文字と「意気」の意味とが融合して、その後の「粋(いき)」へ繋がったという説もある。このあたりでウィキペディア情報ありがとう。デザインの仕事でもこれらの意味は全く通じますね、「イキなデザイン」も「意気なレイアウト」も「粋な配色」など常に勉強ですね。(「粋」は「すい」と読み、「いき」と使用するのは誤用、誤読である)と書いてあるが、心意味は皆同じような気がします、よいではないかイキに使えば、意気に書いて、粋なデザインをしましょう。といつも思っているのですが。なかなか野暮な自分がいます、そんな時はいつもシンプル伊豆ベストではなく(親父ギャグすいません)「シンプル イズ ベスト」の思考をすればほぼ正解です、これは今までの仕事での話ですが、デザイン関連でクライアントを説得しなければならない時などほぼ解決してきました。クライアントの意見を膨らまし且つシンプルにまとめる事ですね、だめ押しはクライアントへの心地よいパフォーマンスを考えてあげる事です。また笑顔、挨拶、コミュニケーション力、ファションセンス これらは常に基本です。何をするにも当てはまる事でしょう、仕事の種類等関係ないし生き方のセンスであり哲学です。これは日本人の生き方に多いに通じるのです粋にCOOL JAPANで行きましょう。美の壷と言うTVがありますが、とても勉強になります。私達日本人のこの肉体を動かしているハート精神意志をいつも柔軟に保ち人に優しく生きること楽ですよ。野暮な行動思考は時間の無駄、シンプルに楽に楽しく生きましょう。

 

 

 

「長崎」って

 

長崎の地名は現在の市役所付近から県庁付近まで長い御崎を居としたことから由来するとされる説があります。地形においては全国でも珍しい港を中心とした「スリバチ地形」をしその周りには住居が山に植わっているようにいっぱい点在しています、それらの夜景のすばらしさは格別で稲佐山からの夜景が世界3大夜景になった事、うなずけます。長崎に来ましたら是非観ていただきたい物です。東京から知人が遊びにきた時に長崎駅から自宅に向かう時に知人の小さな子供が長崎は星が低いねと言った事は印象的でした。山の家の光を星と思ったのでしょう。ただその地形からおのずと問題は階段になるのです。ズーット上まで階段の道が続きます、お年寄りなどには地域のバス停近くから坂の中腹までエスカレーター機能があればなどと私も5年前東京から来たばかりは素人判断を致しましたが、待てよ。以外と階段の途中には小さな椅子があったり、少し広くなっていたり4畳ぐらいの広場があったりしてコミニュケーションスタイルができているのでは・・と。またこの細い、人がやっと二人すれ違える道がくせものでして、道と思っていたら人の玄関に着いてしまったりするのであります。この長崎独特の小道を、坂、バカ、墓、と友人のジゲモンさん(地元の方)は言ってましたがそこには彼の長崎を愛してる心意気を感じました。何で長崎の話ですかとお思いでしょう==ここの地はファーウエストネットワーク(FEAならぬFWN)FEAと言っても解らないか?!*Far East Network極東放送です日本にいる海外軍人家族の為の放送*この放送で私は英語を勉強したりリズム&ブルースをきいてました。==今思えば何でもっと早く来れなかったのかこの長崎にはこんなに素晴らしい日常のデザインがあるのに。前は東京ブランドだけを観ていたような気がします。ここFWNの西のはての素晴らしいブランドがありました、やはり日本は素晴らしいですね、長崎くんちや精霊流し、ペーロン、チャンポン、トルコライス、カステラ、卓袱料理、シュガーロード、べっ甲、グラバー園、出島、教会、興福寺、崇福寺それと原爆平和公園。人が生きているところにコミューンができ歌がうまれ祭りが生まれ競争があり、それらの告知の為に自分たちの印(家紋)デザインが生まれ祭りの衣装や山車やおみこしなど心模様がデザインを生んでいくのですね、昔からの家紋デザインは素晴らしいシンプルさの極地でしょう。東京生活ではカッコよさを中心に考えてデザインしていましたね。結論を先に、答えを出しデザインを早くカッコよくつくっていましたね、後から正当性を創る論法を考えていたような気がします。いまではそれら全てをフィードバックできますので一番充実しています。デザインは歳を重なれば重ねるほど充実するのですよ、お年寄りは大事にしましょうね(笑)

 

 

 

「クレド」って

 

クレドとは、ラテン語で「志」「信条」「約束」を意味する言葉です。私が以前いた広告代理店でもクレドをマネジメントのコンセプトにおいていました。よく「経営理念」を表わす言葉としても定着しています。経営理念は、どの企業にもあるのですが、それを経営の武器戦略として活用している企業は意外と少ないようです。今覚えば以前の会社はそのユニークで活気のある企業でした。「ユニークでオリジナル。個性的だけど紳士的。いつも進歩しているが時々立ち止まる、炎のような意思と哲学者の憂い。いつまでも青年のようなみんなに愛される会社にする。」「まずは社員、従業員を幸せにしよう。そうすればその社員は顧客取引先にも十分に満足を提供することになる。」この考え方が企業の繁栄、存続を支える大きな約束であり信条なのです。このようなデザイン広告代理店でクレドを活かしている会社は初めてでしたが、すぐに凄く気にいりました。その当時アートディレクター職をしていましたが何か足りないようで40代の人生を生きてきた中で体の一部分がしっくり動いてないようでした、もっと人と会って仕事がしたい。ジグソーの抜けていた部分に会えたような自分の一部に出会ったように感じられる会社でした。とても楽で楽しかった会社でした。みんな自分一人では生きていけません人と関わりながら自分の道を探しています。自分の考えを相手にどう伝えていくか?クライアントを満足させるコミュニケーションとは?それは自分も満足できるか?最近のニュースでは中高生ではなく小学生の暴力が問題。切れる先生に足蹴りとかイジメ、仲間はずれなど、彼ら彼女らも急に暴力をするようになったわけではない、する側とされる側では暴力の度合いが違うから、『チョット押しただけじゃん』『本気じゃないから』などなど日頃道徳時間や放課後など時間の許すときに相手を褒めるロールプレインゲームをしてほしい先生もちゃんと勉強して笑いを取れるようになってコミュニケーションの大切さを伝えてください。日頃から生徒同士で相手を褒めるロールプレイングをするべきでしょう。先生もいつもスマイルでありスポーツマンスポーツウーマンでありコミュニケーション能力の勉強ですね。私が好きなデザイン広告関連でずっと生きてこれたのは親の教育、友達、恋愛、仕事、遊びなどコミュニケーション能力で出来上がってきたもの。皆様も肩の力を抜いて、気持ちを楽にして、人と会いましょう。人をまず見て目に入ってきたところを褒めるのです。髪型、スタイル、身につけているアクセサリー、カラー、何でもいいのですからやってみてください。まっすぐに自信を持って相手を優しく思うのです。うまくいきます。

私がいた会社でのクレドをお知らせします。コミュニケーションがすべての力なのです。「宣言」-----「人がすべてである」「人を信じ、人を愛する」「すべての夢は人から生まれ帰結する」「人と人。人智無限」「我々は人間企業である」毎朝8時45分出社が基本。朝一の届け物やプレゼンなどない社員は集合。毎日1人が選らばれ参加者全員から褒められるのです。30人ぐらいから、最近スーツのセンスがいいなとか、先週は遅くまで新人の面倒を見ていましたねとか、こないだコンビニでおばーちゃんにドア開けてたねとか。なんでもいいのですが褒めまくります。最後にその1人が good and news  といって最近出会ったよかった事と近状報告をみんなに言って解散。毎日です。ネタもなくなるので、歌もあり芸もありなんでもありなのですが、基本は相手を褒める事での一体感を伝えます。この会社はですからみんな終電近くまでワイワイ会社にいましたね楽しいから、毎週水曜は定時18時上がりで、飲み会でしたね。私が行っていたのは東京支部でした。名古屋本社であと静岡、大阪、福岡でした1年に2-3回合同親睦会があり支部ごとのプレゼンがありました。今でも十分に楽しい会社でしょう。デザイナーディレクターはよく営業が仕事をとってくる自分たちはデザインをこなせばいいとそれは違いますね。デザイナーディレクターも営業と一緒にクライアントに行ってお客様の声を聞く事、その場でデザインのアウトラインでも決まる場合があります。コミュニケーションの力です。そんな仕事の向き合い方が結局楽であって間違いがなく楽しい仕事になります。笑顔で後輩を褒めてあげよう、よい部分は誰にもありますから。褒める事それが全ての始まりです。

 

クレド、私たちはお客様とそのお客様第一主義に徹します。お客様の利益と幸福を創造し、妥協のない至高のオンリーワンサービスを提供します。私たち一人一人の幸せのために。

1⭕️クレドは私たちの信条であり全社員の行動指針です。全員がこれを理解し高い志とプライドを持ったクルーとしてこれを実行する。

2⭕️時間を守る-私たちは時間を守ります。仕事と心の準備を整え5分前待機を徹底しゆとりを持って相手を迎えます。

3⭕️時間のコントロール-私たちは時間管理を徹底します。全ての業務に始めと終りの時間を設定します。「時間の奴隷」ではなく「時間の王様」になります。

4⭕️川上主義-私たちは川上主義に徹します。川上は物事の根幹であり全ての源であることを知っているからです。

5⭕️整理整頓-私たちは整理整頓を心がけます。身の回りは自分を映す鏡です。常に大切に扱い綺麗にすることで心も磨きます。

6⭕️挨拶-私たちはきちんと挨拶ができます。明朗快活に徹し相手の方にも元気を与えます。

7⭕️電話対応-私たちは大切な生命線の電話対応を大切にします。呼び出し音2回以内に電話を取り、笑顔で受け答えします。保留音も即対応しお待たせしません。

8⭕️チームワーク-私たちはチームワークを大切にします。メンバーは誰一人として欠かせないクルーです。人を尊敬し助け合いお互いを認めることで成長を喜びあえるチームです。

9⭕️仕事で学ぶ-私たちの現場は自己成長の場でもあります。仕事で学び、遊び、仕事を通して人間力を高め自己を成長させます。

10⭕️報酬-私たちの利益はお客様の利益に優先しません。なぜなら私たち個人の報酬はお客様から頂いていますから、常に謙虚でいいのです。

11⭕️身だしなみ-私たちは身だしなみに十分注意します。サービス業である限りいかなる時も接客できる服装でいます。

12⭕️情報の共有-私たちは常に情報に対して枯渇感があり、そのため定例ミーティングには必ず出席し、日報記入閲覧を徹底。

13⭕️進化主義-私たちは常に業務改善を常に日課としています。業務を高度化し効率を高め結果的にコストダウンを実施します。

14⭕️クリエイティブ-私たちのクリエイティブは常に斬新でなければなりません、生活者の心を知るため私たち自らが創造的で優れた生活を送ります。

15⭕️報連相-私たちは報告。連絡、相談を怠りません。常にコミュニケーションの活性化を実行します。

16⭕️濃い時間-私たちに取って残業は薄い時間経過の結果。残業なしの濃い時間を選択します。

17⭕️クレーム対応-クレームは最優先事項です。どんな時も上司に報告し、真心持って真面目に対応します。

18⭕️来客マナー-私たちはお客様を大切にします。社員以外は全てお客様です。笑顔で丁寧に対応します。

 

 

「SAPE  サップ 」って

 

以前NHKでも放送していましたがサップ(SAPE)ってかっこいいんですよ。私も中学あたりからファッションには興味があり親になんだかんだねだっては横浜、渋谷と買い物をしたことを思い出しました。また成人してからは六本木チャクラやネペンタやギザや新宿の椿、TOKIOなどのディスコあたりに毎夜のようにコンテンポラリースーツを決めて出かけていったことなど思い出しました。でもここは赤道直下コンゴ共和国でのお話。ファッションコンセプトの一つですが「サップとはフランス語のSociété des ambianceurs et des personnes élégantes「おしゃれで優雅な紳士協会」などの意味」サップを楽しむ人々はサペーまたはサプール(Sapeur)と呼ばれてます「デザイナー ポール・スミスもコレクションに反映させたエレガントな紳士たち」赤道直下でこのスタイルを貫くのはすごいです、しっかりとしたルールでオシャレを楽しむ紳士なのである・靴下の長さ・コーディネートに3色まで。シンプルな色の組み合わせで自らをいかにかっこよく見せるかが求められます。・紳士でなければならないサプールには服装だけではなく、マナーも求められます。残虐な内戦があったにもかかわらず、非暴力で思いやりのある人として尊敬を集めている方たちです。「高級ブランドのスーツに身を包み30度を超える暑いコンゴの町を1950年代から1960年代のパリ紳士の派手な衣装で闊歩するのです。高級ブランドスーツに身を包み帽子と葉巻やパイプ、ステッキなどの小道具とともに街をいく姿は、輝くブラックパワーというか歩きのパフォーマンスです。そこが熱帯のコンゴであることを忘れてしまいます。サプールのはじまりは一説によると、1920年代のフランス領コンゴの社会運動家アンドレ・マツワがサプールの始まりと言われています。政治家でも宗教家でもないが、当時フランス領だったコンゴに巨大な影響を与え、彼を崇めるマツワニズム(マツワ運動)という宗教運動が勃興し、彼の死後は政治的にも影響力を持つようになり、1960年のコンゴ共和国独立にも多大な影響を与えました。マツワは1922年、パリからコンゴへと帰国する際、パリ紳士の正装でブラザヴィルへと降り立ち、人々のどぎもを抜いたそうです。悲しい現実はコンゴは世界最貧国の一つです平均年収は100ドルほどだと言います。一体、サプールたちは高級スーツをどうやって手に入れているのでしょうか??あるサプールの男性は、高級スーツをたった1回着るためだけにアルバイトで8ヶ月かけて貯めたお金を費やすそうです。大なり小なり自分も遊びにいくためにバイトしたりしましたから、彼は華やかな格好とは裏腹に、実家で小さな部屋で暮らしています。まあ、彼は極端な例だとは思いますが、貧しい国でブランドのスーツを着るのは中々大変なことのようです。参考(Wikipedia)